晴れるくらいなら雪降んな

お天気雨とか。
「晴れるくらいなら降るなよ」って思いませんか?
思いませんか、そうですか。
やっぱり人間は分かり合えない生き物なんですね……。


話がいい感じに大げさになったところで、面舵いっぱい。
今回はただの日記です。
いや、まあこのブログのタイトルが日記ですから、『ただの』というのもおかしな話ですが。
そんな訳で。
だらだらと記号を並べていこうと思います。


最近、GAEをいじり始めた僕ですが、まだコンテンツと呼べるものがありません。
ただ、現在検討しているのは、ここよりもより趣味に特化した、どうでもいい内容を詰め込んだページと、後はアプリなんかを少々動かせたらというものです。
ブログのサーバーとして使うだけでも十分だとは思うんですが、やっぱり何か機能があった方がおもしろいかな〜、なんて。
そんな感じです。
そんな感じなので。
ここ以上に見る価値がないのは、言うまでもないということでFAです。
番宣したり、けなしたり、忙しい僕です。


で、GAEの話はここで終了。
ここからは、漫画の話。
フジリューの『封神演義』についてです。
安能務訳『封神演義』を原作として、週刊少年ジャンプで連載されていたマンガです。
ちなみに、僕は原作も漫画も両方とも読んでます。
その上で。
フジリュー版の方についての駄文になります。
まあ、良く言われることですが、原作とはもう別物ですね。
原作をただ絵にしただけのものでは無いです。
第一、原作をそのまま絵にしたら、青年誌行き確定です。
18禁上等になっちゃいますね。
でも、個人的にはとても好きな作品ですよ。
キャラの待遇が色々すごいですが。
特に、聞仲と黄天化。
かっこ良くなりすぎだし、最後まで生きすぎだし。
ちなみに、ネタバレすると原作では天化は紂王まで辿り着きません。途中で死にます。聞仲はまるで死刑執行のような最期ですし。
でも、あの原作からあのストーリーを描いたフジリューは、素直にすごいなと思います。


しかし、原作においてのそもそもの始まりは、好色昏君(ふんちゅん、愚かな王の意)が廟にまつられた女媧像のあまりの美しさに心奪われ、恋文を刻んだところからです。それに対して、『人間ごときが傲慢な』とブチ切れた女媧御前が妲己たちを使って殷を滅ぼそうとかいう流れです。
そこへいくと、フジリュー版では妲己の扱いもかなりバブル弾けちゃってますね。
そういう原作との違いが多いのでダメという方は、まったくの別物というか、封神演義のパロディだと思えば、見方が変わるんじゃないでしょうか。
何度も言いますが、原作そのまま忠実にやってたら、少年誌なんて絶対無理です。
ま。
今なら、可能かもしれませんが。
以前黒猫描いてた方の最近の暴走っぷりが許容されるならという前提ですが。
個人的には「う〜ん……おっけー!」ですけど。
もひとつ言えば、僕もう少年じゃないですけど。


閑話休題
僕が印象的だなあと思ったシーンの一つに、黄飛虎の封神シーンが挙げられます。
何が印象的だったのか。
もう分かる方もいらっしゃるかもしれませんが、その後に挿入された太公望の一礼です。
封神間際の武成王から後を託された太公望が、「まかせよ」とか言ったり、力強く頷くでもなく、ただただ黙して頭を下げる。
その場のノリではなく、キャラの心情を描いたシーンだと思います。
このシーンから、太公望の中で武成王がどれだけ大きい存在だったかが伝わります。
命の恩人であり、戦力の要(人対人において西岐軍を鍛えたこと含め)であり、良き理解者であった男。
武人として、一人の人間として、太公望が信頼をおき、尊敬をもっていたという心情描写があのシーンだと、勝手に解釈しています。
神界大戦パートから殷王朝滅亡までは、何気にあの作品の中では一番の山場ですから、フジリューさんも気合入ってたんでしょうね。
そしてその後の紂王の壊れっぷりは、忙しさのあまり発狂した自分を投影したに違いありません。
いえ、実際どうかは知りませんが。


そういう訳で。
ガイドブック買ったり、色々調べたりしてましたが、結論を言うと僕は原作も漫画もどっちも好きです。
それぞれに、それぞれ好きな部分があります。
こんな感じで、今回はこれにて。